①クラクフ:ハプスブルクとユダヤの歴史を旅する
クラクフの立ち位置
― ポーランド王国とハプスブルク帝国のはざまで ―
クラクフは長らくポーランド王国の首都として栄え、ヤギェウォ朝の時代には、ポーランド=リトアニア共和国の中心都市でした。
しかし18世紀末、ポーランド分割によってクラクフはハプスブルク家の支配するガリツィア地方に組み込まれます。
王国の首都という地位を失いながらも、他の列強支配下に置かれたポーランド地域とは異なり、比較的自由な文化活動が認められました。
その結果クラクフは、ポーランド文化・学問・民族意識を守る拠点としての役割を担い、後の独立運動にもつながる精神的中心地となっていきます。
この「帝国に属しながらも文化を守った都市」という立ち位置は、同じくハプスブルク帝国のもとにあったウィーン・プラハ・ブダペストと比較すると、クラクフの個性をより鮮明にしてくれます。
クラクフの歴史を深く旅する視点
ポーランド南部に位置する古都クラクフは、かつてポーランド王国の首都として栄え、またハプスブルク家支配やユダヤ人コミュニティの栄光と悲劇が色濃く刻まれた街です。
中世から近代まで、ヨーロッパの政治・宗教・民族が複雑に交錯したこの街を訪れると、美しい街並みの裏にある深い歴史への好奇心を掻き立てられます。
ここでは、観光地の魅力に加えて、「歴史を読み解きながら巡る」ための視点をご紹介します。
②クラクフの中世〜近世の権力構造を読み解く
ヴァヴェル城(王宮)

ヴァヴェル城(王宮)

ヴァヴェル城(王宮)前庭園

ヴァヴェル城(王宮)中庭
ただの宮殿ではなく、ポーランドがどの大国と距離を取るかを決める戦略拠点でした。
ヤギェウォ朝時代にはリトアニアとの同盟によってオーストリアやドイツとの均衡を保ち、「文化を武器に生き残る」ポーランドの外交を象徴しています。
聖マリア教会 / リネック(中央市場広場)
【聖マリア教会】
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【リネック(中央市場広場)】
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聖マリア教会(工事中)

聖マリア教会内

リネック(中央市場広場)
中世の街並みがほぼ残る旧市街は、ポーランドがハンザ同盟(北ドイツ商人の経済圏)を利用しながらも飲み込まれず、自立を維持した証。
商業と自治を巧みに発展させた、したたかな都市戦略を見ることができます。
ヤギェウォ大学

ヤギェウォ大学

ヤギェウォ大学

ニコラス・コペルニクスの像
1364年創立の大学は、ポーランド=リトアニア共和国時代の知識人ネットワークが築かれた場所。
コペルニクスやヨハネス・パウロ2世など著名な人物を多数輩出しました。
大学の前にある広々とした公園は、綺麗な大学の校舎を見ながらの散歩にもってこいです。
調子に乗って、ベンチでピザとビールでも・・と思いましたが、危ない危ない。
ポーランドは、公共の場(通り・広場・公園など)での飲酒は禁止されていますので、注意が必要です。
③クラクフとユダヤ人コミュニティの共生と悲劇
カジミエシュ地区(ユダヤ人街)






西欧諸国がユダヤ人を迫害・追放していた時期、ポーランドは彼らを「経済的・知的資産」として受け入れ、共生を図りました。
シナゴーグが街に点在し、現在も独自の文化が息づいています。
旧シナゴーグ



ポーランドのユダヤ文化の中心地として重要な場所。
展示を通じてユダヤ人の生活や迫害の歴史を学ぶことができます。
シンドラーの工場博物館



映画『シンドラーのリスト』の舞台でもあるこの場所は、ナチス占領下のクラクフやゲットー形成の背景が詳細に展示されています。
④ クラクフとアウシュビッツを結ぶ現実の足跡
ポドグジェ地区(元ゲットー)・英雄広場

アウシュビッツ収容所に送られる前、ここにユダヤ人が隔離されていました。
ゲットーの壁の跡や「英雄広場」に置かれた椅子のモニュメントが、静かに過去を語っています。
⑤歴史の視点で巡る、東欧4都市のつながり
ウィーン、プラハ、ブダペスト、クラクフは、ハプスブルク帝国の支配下でユダヤ文化が花開いた街でもあります。
そして同時に、それが後に反ユダヤ主義の標的となり、ナチスによるホロコーストへとつながっていきました。
それぞれの都市が持つ大聖堂やユダヤ人地区の背景を知れば、旅は一層深くなります。
おすすめ視点と巡りスポット
・クラクフ:
カジミエシュ地区、ゲットー跡地、アウシュビッツ=ビルケナウ
・ウィーン:
ユダヤ博物館、レオポルトシュタット地区
・プラハ:
ヨゼフォフ、オールド・ニュー・シナゴーグ
・ブダペスト:
ドハーニ街シナゴーグ
それぞれの街で、「歴史の表と裏」を見比べながら旅をするのも。普通とは違う楽しみがあります。
